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【どうする家康】築山殿(瀬名)のお墓 西来院に行ってきました

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2022年の夏。

来年の大河ドラマ「どうする家康」を見越してか?

浜松市では、社会科自由研究に「家康部門」なるものが出来まして、浜松にゆかりのある武将「徳川家康」について調べる課題が出ました。

小学4年生の杏ねえちゃんは

杏ねえ
杏ねえ

徳川家康の奥さんについて調べてみたいな~

と言い出しました。

家康の奥さん!!

そういえば、私自身、徳川家康の奥さんについて全然知らなかった!!

軽くググってみると、家康には2人の正妻(築山殿と朝日姫)、そして側室が無数にいたそうですが、最初の妻である築山殿は、なんと家康の命令で殺されているらしい!という事が判明!!

よし!築山殿について調べてみよう!!

ということで、杏ねえちゃんと私の自由研究が始まったわけでございます。

\まずは買いましたよ!家康の歴史漫画!母の方が夢中で読んだ(笑)/


       

目次

徳川家康の正妻「築山殿(瀬名姫)」とは

西来院所蔵の築山殿の肖像
ウィキペディアより 西来院所蔵の築山殿の肖像

出生

築山殿の出生は明確ではないのですが、家康よりも年上であったと言われています。

血縁上の父親は「関口義広」ですが、有力者「今川義元」の養女になりました。

元々の名前は「瀬名姫」だったと言われています。

結婚

1557年5月15日、築山殿は家康と結婚しました。

翌々年の1559年3月6日、家康との間に長男信康が、1960年には亀姫が生まれます。

しかし、家康との夫婦生活は、ほぼこの年で終わったとみられます。

別居

というのも1960年5月、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれたのです。

それを知った家康は、築山殿と子供のいる駿府には戻らず、すばやく故郷の岡崎に帰って、あろうことか今川に攻撃を開始。

駿府にいた築山殿は、幼い息子と娘を抱え、夫が敵方となってしまいます。

築山殿は、どれだけ辛く心細く、そして恨めしく思ったことでしょう・・・

2年後に、人質交換で家康のもとに帰ることになりましたが、岡崎城に入ることは無く、近隣の寺の一角(築山と呼ばれるところ)に住んだため「築山殿」と呼ばれるようになったと言われています。

生害

今川家の者だった築山殿は、養父を討った織田を深く憎み、さらに織田と手を組んだ家康を裏切者だと思っていました。

そこで、織田と敵対関係にあった武田のスパイと通じ、情報を流していたようです。

しかし、そのことを息子信康の嫁であった徳姫(よりによって織田信長の娘)に知られてしまいます。

徳姫は、このことを父である織田信長に手紙にて報告。

驚いた信長が、家康に報告し、「対処するように」と告げたようです。

信長には逆らえなかった家康は、信康と築山殿の殺害を決めます。

※殺害理由については諸説あるようです

結果、築山殿は、1579年8月29日、遠江国冨塚(現在の浜松市、佐鳴湖畔)で殺害されました。

亡骸は、西来院(浜松市広沢)に葬られたそうです。

築山殿の眠る西来院に行ってきました

ひつじ母
ひつじ母

築山殿について、ここまで調べた上で、お墓を訪れてみました。

西来院は、浜松市中区の閑静な住宅地である広沢の一角にひっそりとあるお寺でした。

入り口も、よく見ていないと見逃してしまいそうなほどです。

西来院の入り口
入り口から入って少し歩き、振り返って入り口を撮影しています

門から少し車を走らせると、駐車場がありました。

とはいっても、砂利引きの広いスペースがあるだけです。

全く観光地化しておらず、地域に根差したお寺という印象です。

西来院の駐車場

駐車して少し歩くと、西来院の本堂と思われる建物がみえてきました。

パッと見の印象は「モダンなデザインだな」です。

シンプルですが、印象的なデザインですよね。

西来院の本堂
ユニークな建築の西来院の本堂

曹洞宗のお寺のようです。

禅寺なので、質素ながら品のある作りなのですね。

西来院は曹洞宗のお寺のようです

本堂でお参りを済ませた後、早速、築山殿のお墓である「築山御前月窟廟」を探します。

特別な看板なども出ていないので、いったいどこにお墓があるのか迷いますが、本堂向かって左に続く道があったので、そちらに行ってみることにしました。

築山御前月窟廟へ

あえて看板など出さず、観光地化しないで、シンプルに故人を弔う西来院の姿勢が素敵だと思いました。

進んでいくと、様々な家のお墓が並んでいましたので、撮影はひかえていたところ、中央に質素ですが立派な霊廟がみえてきました。

築山御前月窟廟へ

間違いありません。

「築山御前月窟廟」です。

築山御前月窟廟の前の石碑

築山殿、38歳だったのですね。※諸説あり

年齢的に近いワタクシ、しんみりしてしまいました。

築山御前月窟廟へ

お墓の目の前まで向かいます。

お盆の時期という事もありますし(または、お盆の時期なのに!?)他に参拝者が全くいなかったことから、とても静かで、ちょっと怖いくらいです。

築山御前月窟廟へ

あの激動の時代を生きた築山殿が私たちを、じっと見据えているような気分になりました。

築山御前月窟廟へ

安らかにお眠りください、と手を合わせて帰りました。

杏ねえちゃんは「私は築山殿の味方だよ」と告げたようです。

本の中の歴史と現実が交差した瞬間でした。

  

西来院
〒432-8013 静岡県浜松市中区広沢2-10-1
電話:053-452-7584
駐車場:あり
開園:9:00~15:00

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この記事を書いた人

ルルルンパックを愛する40代ワーママの「ルルルン ブログ」です。

30代後半から肌の乾燥に悩み続け、ルルルンパックに出会って乾燥地獄から救われた人。

以来、ルルルンパックにドハマりし「新商品が出る→使う」生活。
ルルルンパックの製品レビューコンプリートを目指し中。
ルルルンパックと一緒に使うといい!という商品も探し中。

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